オレンジチーム
「古い地図の見方を学ぼう」
今日は久しぶりにみんな顔を合わせる日。そして、今日から発表に向けてがんばらないと、と意気込んでました。その意気込みが空振りか、それとも今日は久しぶりですこし打ち解けてないのか、みんなあまり乗り気じゃない模様。なかなか子供心もむずかしい・・・。
この日はまず、松田さんによる昔の東京と上原の解説。子供たちはわかったようなわからないような顔。そりゃ難しいよなぁ、なんて心の中で思ってました、多分ぼくが小学生のときにそんなこと言われてもまったくわからないだろうなぁ。その後、その内容についての教材を配ってもらい、みんなでお勉強。やっぱりわからないような、わかるような・・・。
その次にやったことはぼくら班での勉強会。内容としては、時代ごとの地形模型を見て、その時代と階段の有無、そしてそれら7時代を通してみると一体何がわかるだろうか、ということ。結構高度な内容になっているので、みんなついてこれるかどうか、かなり不安でした。
まず、階段の有無を判定。階段は人が地形に作る人工のものなので、きっとその周りに人が住み始めて、必要性がおうじると階段をつくるのだろう、という推測に落ち着く。そこで、7つの時代を各自一つの時代を担当し、隊長は二つの時代を担当するように役割分担しました。1880:隊長、1910:マコトマル、1928:コウタ、1937:アイリチャン、1945:アーチャン、1955:トシ、2005:隊長、という具合です。各自、予想・分析を行い、理解を進めていきました。(とはいいつつ、これもやっぱり難しい。なかなか高度な分析でした。)そして、各自地形模型にその時代にあったと思われる階段の位置にピンをさしていきました。
さて、すべての時代の模型が完成し、一体何がわかっただろう。結論をいえば、階段は高い場所からできていきました。同様に、上原の街も高いところからできていきました。つまり、階段の歴史と上原の街の成長は密接に結びついていたのですね、というわけ。ただ、これにもイマイチわかったような、わからないような。やっぱり難しかったよなぁ、ただ、がんばって最後までには理解してくれ、と祈りながらこの分析はひとまず終了。みんな階段の歴史がわかりました?
そして、歴史の分析を踏まえ各自模型をもって、みんなでニックネームをつけた階段をもう一度みに行きました。荷物も重たいし、この日は暑かったしで、みんなへとへとになりました。最後はみんなで一番いい階段を選んで、そこを設計することに。時間いっぱいまでその階段にいて、各自スケッチと観察を行う。結構何回も見たり、考えたりしてるので、各自考えを発展することを期待しました。ただ、やっぱりみんな疲れている模様。一応最後の宿題として、このみんなで決めた「桜植物階段」をどう設計したいかをスケッチしてくる、ということにしました。
そんなこんなでみんな楽しみの給食へとなだれ込むのでした。
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